皆様、ごきげんよう。ベラです。
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ここに降り立ちました。

「JR東海 弁天島駅」

この駅で降りたのは幼少期。あれから随分経ちます。

何度も来ましたが電車で来るのは未だ二回目。

かつては領土争いや天変地異など度々災いがあった土地です。

 

駅から少し歩くと鳥居があります。

潮干狩のための渡船があります。

《覚書》

弁天島遊船組合


また少し歩き橋を渡ると、史跡が出現します。

ここは東海道五十三次30番目の舞阪宿であります。

 

その昔は、ここに橋などありませんでしたから、西に行くには船に乗るしかありませんでした。大変な時代でした。

現在は電車内で居眠りをしていても渡れてしまいます。

 

旧東海道では唯一の脇本陣遺構とのこと。それを元に復元されたらしい。歴史好きの私は居ても立っていられませぬ。

ここは、舞坂宿脇本陣

あとから見ようと思い立ち寄るがすでに閉館、、中を見れませんでした。残念。

 

ここは漁師町でもあるのです。

私、演歌が似合いそうな漁港が好きなのであります。

 

新鮮な刺身の盛り合わせ。

座った席がいい場所で鰹を捌くところが見れました。

鰹を刺身で頂けるとは、なんと幸せなのでしょう。

《覚書》

「晴美」

〒431-0211 静岡県浜松市西区舞阪町舞阪2074−1

053-592-0408

11時00分~14時00分 16時30分~20時00分

火曜日定休

地図

 

多くの釣り客で賑わう。

ここはとても潮の流れが速く魚影が濃いのです。

かつての明応地震の影響でここが出来ました。

今切れたぞ!と皆が叫んだことから今切口と呼ばれるようになったそうです。

海と繋がった浜名湖が汽水湖となり環境も文化も歴史も大きく変化したものと思われる。とても感慨深い場所であります。

 

浮世絵でしょうか。

趣がありますな。

 

以西の新居浜よりから御前崎まで数十キロ延々と続く「遠州大砂丘」です。

この先に有名な日本三台砂丘のひとつ「中田島砂丘」があります。

中田島砂丘は5月には浜松祭りがあり巨大な凧が大空を飛び交います。

他の街の凧に糸を絡ませ切り合う糸きり合戦という迫力ある喧嘩凧を見ることが出来ます。

しかし、初子を祝う凧揚げより、糸を切りあう凧揚げまでに発展するとは、、

なんと破天荒なお祭りなのでしょう。

それにしても随分とご無沙汰で御座います。来年にでも行ってみましょうか。

 

押しては返す波に翻弄される。

波に浚われた二枚貝が慌てて砂に潜って行きます。そして意地悪く掘り返す。

食べると美味しい貝もこのように観察するととても愛らしい。

 

随分歩きました。

2~3km歩いたところで満足し浜より出ようとしたところ工事中の防波堤に阻まれて出られなくなっていたことに気が付きました。

虎縄を超えて出るか悩んで躊躇していたところを工事車両が通過。が、直ぐに引き返し声を掛けて頂く。

「ここは入ると危ないですよ!?」

どこから出るのか訪ねると、

「この先2~3kmは出口がありませんよ!」

同じくらいの距離を進むか戻るかの2択のようです。

少し悩んでいると、

「出口まで送りましょうか!?」

この瞬間、その現場監督様に後光が射した。

「相当歩いたのではないですか?お疲れですよね!?」

楽しいため疲れませぬ。しかしこの先も歩いたとしたら、きっと行き倒れていたことでしょう。と、戯言を抜かす。

その会話の中で工事についての質問をさせて頂きました。

大津波対策で防波堤を高くしているとのこと。

もちろん中田島砂丘も同様のため、景観がどの程度変わるかが気になりました。

そうこうしている間に今切の駐車場へ到着。感謝の想いを伝え車を降りる。予想外な出来事を大いに堪能させて頂きました。

《覚書》

津波対策工事(舞阪工区)

 

さて、ここでひとつ困り事が発覚。

砂まみれの足、、

あの綺麗な砂浜を見て素足で歩かずにいられなかったのであります。

先ほども通った場所であるため記憶を頼りに水道がある場所を探す。

小石だらけの舗装路を痛みを堪え歩く。

ありました。足洗い場のようなところを見付けました。

綺麗に洗い吹き上げ、何事も無かったかのように靴を履く。

さて、帰りましょうか。

 

最後までお読み頂いた事を感謝致します。

また次号も宜しくお願い致します。

お気に召しましたら是非、あなたの大切な方へ紹介願います。

ベラ。

 

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